どれも5〜6年前に撮影したやつだ。フォルダを見ると2013年と2014年の1月とかまでのやつなのでほぼ6年まえだ。
10年ひと昔と言われたりするけど、SNS時代になって5年ひと昔ぐらいの?いやもっとなのだろうか?そんな時代になっている。
そしてそのひと昔の写真を見て
自分がどうであったか?を考えたりする。5年10年経ってもいいデザインだね!って思えるものも作っていたいし、5年10年たって、クソダサい!下手くそ!って思えるほど自分を向上させていたいとも思う。
常に若々しく入れるか?ということ。内面の問題だ。
川久保玲も山本耀司も
歳をとりたくない、とか植田正治さんもそういっている。
デザインと向き合う、だからこそ歳をとらない。多分だけど彼ら、彼女らの歳をとりたくないっていうのは
デザインや何かを生み出すということに疲れたくない。とかそういった意味があるのだと解釈している(個人的な解釈だ)
山本耀司のドキュメンタリー的なdvdや情熱大陸や色々と見た。
彼はいっていた
服を裏返しにしたり逆さにしたり、つけたり外したり。考えれるその全てのことはしてみた。そしてその上でその時代その時代についていかないといけない
だから僕は休むのをやめました。
といっている。本当にかっこいいな。と思う。ものを作る上で大事なことだ。
dadaの故植村さんの
これ。あのお葬式にあたるのか?それで配られたやつ。多分生前のヘアモードか何かの記事だったと思う。
最近の思いを色々乗せてたらsvkの同期の野末さんがストーリーであげてくれて
本当そうだよね。と思い
そしたらタナカシホさんからもメッセがきて
これを送ってくれた。
そして美容師がデザインを追わないでどうすんだ!ってことで
今の流れにどうにかアンチテーゼをなげかけれないなか?と思って最近はそういうことを言葉に乗せてアップしている。
目先の数字ばっかおってどうするんだ?っていう。本当にそうだと思う。
それは目先のすぐ役立つことばっかり知ろうとすることとおんなじだと思う。
山本耀司さんのその時代その時代に付き合っていくっていうのはその前の
服を裏返しにしたり逆さにしたり、つけたり外したり。考えれるその全てのことはしてみた
っていうのがあってこその話だと思う。
これのたくさんの人に見てもらいたいけど、一番はスタッフ、そして自分のセミナーに来てくれてる人へ向けて書いている感じだ。
その場その場で知った気になっている、そういうのを欲する。というのもわからないわけでもないけども
根底にあるもの、が最も大事だ。
筋トレをよくしているから筋トレに例えてみる(筋トレというかボディーメイクか)
その場その場しのぎであれば食を抜いたりすればある程度痩せるだろう。けどまたすぐそれをしないといけないだろう。
常に疲れちゃうだろう。
けど筋トレで基礎代謝を上げていれば食を抜かないでもいけるだろう。
筋トレは基礎の体力を作ってくれる
と分かりにくくなったから戻すw
今はデザインをおうのは常にアップデートしないといけないからだからそうじゃないことで数字を作る
艶髪や美髮的なや髪質改善的なワードがあちこちに流れている。
もちろんそれは大事だ。けどそれでその時代その時代に付き合ったりデザインの向き合わないなら
なんで美容師になったんだろう?数字の方が大事なら他の職業でもよかったんじゃないのだろうか?(もちろん、社保や休日や当たり前なことをきちんとした上での話だけど)
技術は訓練次第で自分の財産になります
センスを磨くことで日々の暮らしがスタイリッシュに変わります
デザインを追求することで夢が実現されていきます
さまざまなライフスタイルがある中で
それらが人の幸せに変わるものであれば
とても素晴らしいことだと僕は思います
デザインが好きです 美容が大好きです
だから慎重にそして地道に技術を追求する
それが僕たち技術職を志した者の使命であり
僕にとってハサミは唯一を知ることのできる
コミュニケーションの道具なのです
人生が終わりなき旅であるのならば
デザインも終わりなき旅なのです
それが目の生きる意味だと思うのです
もう一度植村さんのやつを。
目先のすぐ使えるものではなくて、本質を高めて、本質を求めて。そしてデザインすることを。
最初に戻るけどそういう考えだから5〜6年前の写真を見て
あ、この時も今も美容を、何かを作ることを楽しんでたな。俺。って今でも言えてました。
うん
さ
今日も頑張ります!!!!!